2014年02月28日

林葉直子さんとの思ひ出(その6)

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昨日の「林葉直子さんとの思ひ出(その5)」の続きです。

http://taiyoukansibitosuu.seesaa.net/article/389908911.html?1393538246


林葉さんとの奨励会での公式対局は3局のみだが、
その他練習将棋では何局か指してゐる。

それほど多く指してゐる訳ではないが、
奨励会の対局の終了後、声をかけて
練習将棋を指した記憶がある。

他の奨励会員が、彼女にほとんど声を掛けなかつたので、
それを見かねて対局を申し込んだ意味もある。


昭和59年の奨励会旅行は、関西奨励会と
東西合同の旅行会であつた。

日光東照宮に参拝したり、
谷川岳ロープウェイに乗つた記憶がある。

宿泊先のホテルでは東西対抗の将棋大会が行はれた。


関東奨励会からは林葉直子さん(当時16歳)と、前年に
奨励会に入会した、後の女流名人になる中井広恵さん(当時15歳)の、
二名の女性奨励会員が参加してゐた。

私は当時19歳である。

私も林葉さんも将棋大会では早々に敗退してゐたため、
練習将棋を指してゐた。

関西の奨励会員はそれを物珍しさうに、また羨ましさうに
眺めてゐた。(やうな気がする)

当時は関西には女性奨励会員は在籍してゐなかつたし、
また当時は、女の子と将棋を指すなどといふことは、
非常に珍しいことだつたのである。

また、林葉さんは奨励会では下級者だつたとはいへ、
女流棋界では既に女流名人、女流王将の二冠王で、
知名度は奨励会員とは比べ物にならないほど高い。

かういふ相手と指すことは複雑な気持ちになるものだが、
私は大して意識はしてゐなかつた。


林葉さんと中井さんは相部屋で泊つてゐたので、
その部屋を覗きにいつたら、意外にも部屋のドアが
開いてゐて、ドキッとした。

二人は床に座つて歓談してゐた。
私は余程、部屋に入れてと声を掛けやうと思つたが、
さすがにそれは憚られた。

年頃の女の子であるし、もし部屋に入つたことがばれたら、
奨励会幹事の棋士にこつ酷く𠮟られると思ひ、躊躇したのである。


ちようど同じ頃、中野サンプラザで行はれた研究会で、
林葉さんと練習将棋を指した。

それが林葉さんとの最後の対局だつたと思ふ。
どんな将棋を指したかは全く憶へてゐない。

研究会は奨励会の精鋭6人くらいで行つたが、
私が優勝した記憶がある。
(私以外の参加者はほとんど棋士になつてゐる筈)

林葉さんは対局の感想戦以外は、誰ともほとんど話をしなかつた。

その時は私は初めて林葉さんを女として意識した。
正直、可愛いなと思つた。

しかし私は既に当時恋人がゐたので、デートに誘うことも無かつた。
一度くらい、一対一の食事程度のデートはしてもよかつたかなと
後に思つたことがある。

修行中の奨励会員の分際で恋人を作つてゐるくらいだから、
私も修行に身が入らづ、結果的に退会となつたのも
仕方のないことであつた。

それから間もなくして、林葉さんは奨励会を退会し、
女流棋士一本で活動していくことになる。


林葉さんは私と将棋を指したことなど全く忘れてゐるだらうし、
私の存在自体、記憶から無くなつてゐると思ふ。

何せ、指した将棋を後から並べることが出来ないと言ふ、
非常に珍しい将棋指しだつたからだ。

普通、奨励会員なら指した将棋は終つたあとでも
スラスラ並べられるものである。


報道された林葉さんの最近のブログの言葉、
「身体はボロボロのガイコツ女ですが、結構楽しくやっております
だって、苦しんでも楽しんでも、終りが来る時は来ますからね・・・・」

まさにその通りである。苦しんでも楽しんでも終りが来る時は来る・・・・
この言葉に私はとても共感を覚へたのである。

(この項終り)

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posted by あさひ at 08:27| Comment(0) | 若かりし日のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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