2014年09月19日

29年振りの再会 その4(中井広恵元将棋女流名人と)

中井広恵ちゃんと.jpg

(中井広恵元将棋女流名人、女流六段と
於 埼玉県蕨市民公園)



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昨日の「29年振りの再会 その3(中井広恵元将棋女流名人と)」
の続きとなる。

http://taiyoukansibitosuu.seesaa.net/article/405580663.html?1411017863


奨励会入会当時の中井さんは、
なかなか勝てづ苦しんでゐた。
6級で入つたものの、7級に降級してゐた。

一方私はその頃、25か月振りに初段に上がり、
有段者となつてゐた。

初段入品後もすぐに6連勝して、
二段昇段も目前であつた。


1級の終りから初段入品直後の成績は、
13勝1敗と、奨励会在籍中で最も
充実してゐる時期だつた。

その頃は、将棋を指してゐて、
誰にも負ける気はしなかつた。

昭和59年、18歳の春のことである。


成績的に多少余裕もあつたので、
私は中井さんに声を掛けて、ぶつがり稽古の
相手役を買つて出ることにした。

当時、女性会員である、林葉さんや中井さんに、
声を掛ける奨励会員はほとんどゐなかつた。


やはり十代の思春期かそれを過ぎたばかりの
少年が女の子に声をかけるのはなかなか
出来ないことであつた。

その逆もまた然りである。


私は中井さんが小学生名人戦で準優勝し、
奨励会の対局を見学に来たころから、
ずつと気になる存在だつたのである。


中井さんは彼女の兄弟子で既にプロに
なつてゐた、植山悦行七段(当時四段)
の指導を受けてゐた。

そして、私の兄弟子である大野八一雄七段(当時四段)
と植山七段はとても仲が良かつた。

そのやうなわけで、私も植山七段とは
接する機会がとても多く、
色々と世話になつたものである。


植山七段といふ接点があつたので、
私は中井さんに声が掛け易かつたのだ。


奨励会の対局の後、対局場である四階から、
二階の将棋道場に移動して、何度か
ぶつがり稽古をしたのである。


彼女は、稚内出身である。

奨励会入会当時は未だ中学生だつたが、
親類の住む世田谷区に下宿してゐた。

私は当時中目黒に住んでゐたので、
帰りの方向が一緒であつた。


奨励会の例会の帰りは、よく途中まで一緒に帰つた。

将棋会館の最寄りの千駄ヶ谷駅から総武線で代々木まで。
山手線に乗り換へて渋谷まで。

渋谷から東横線に乗り換へだ。


彼女は自由が丘まで。私は途中の中目黒で降りて
別れるといふパターンが何度かあつた。

その間、どんな話をしたのか、よく憶へてはないが、
アイドル歌手の話をしたことは間違ひないと思ふ。

彼女は松田聖子の大ファンであり、私もさうだつた。


私は会話をしながら中井さんを異性として意識してゐた。
一種のデート気分で、心は高揚してゐたのである。

仄かな好意のやうなものはあつたと思ふ。
(実は当時、すでに私には、他に彼女が居たのだが)


ある奨励会の対局の日、彼女は
私にプレゼントをくれた。

松田聖子の歌ふ楽曲を録音したカセットテープである。
(アルバム、ユートピアかCANARYに収録された楽曲だつたと思ふ)

録音状態は良くはなかつたが、私はとても嬉しかつた。


(もしかしたら彼女は私に好意があるのだらうか)
と一瞬思つたが、そんなことはまづあり得ないだらう。

年頃の少年はそのやうな勘違ひをよくするものだ。

(続く)

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posted by あさひ at 00:00| Comment(0) | 勝負の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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