2014年12月08日

十二月八日(世界中が歓喜した日)

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地震の話の続きをしやうと思つてゐたが、
今日は十二月八日である。


この日は何かと感慨深い日だ。

日米開戦の日でもあり、ジョン・レノンが
射殺された日でもある。

個人的にも色々あるが、良い思ひ出といふ訳では無い。

この日のことについては、過去のブログでも述べたのだが、
最近の読者も増えてゐるので、以前の記事を加筆修正して、
再掲することにする。


再掲文ここから(2010年12月9日のブログより)

昨日は12月8日でした。ずつと印象に残る日
であつたのですが、最近はそれも薄れつつあります。


真珠湾攻撃の日として12月8日は印象付けられています。
日本中が挙つてて湧いた日です。

多くの人は今まで積もり積もった鬱積が
吹つ切れたような感覚を持つたやうです。


その後は初戦の華々しい戦火はあつたものの、
戦況は次第に厳しくなり、つひに昭和20年には
国土は焦土となり、8月15日の敗戦へと向かつていくのです。

多くの犠牲者を出した指導者の無策の責任は
あまりにも大きく、万死に値すると言へますが、

物事の表層だけを見ることなく、歴史の大きな流れで見ると、
起こるべくして起つた現象とも言へます。


精神分析的に言へば、
「戦争は人類の潜在意識の罪悪意識の自己処罰の表れ」
といふカール・メニンジャー博士の言葉があります。

スピリチュアル的に言へば、霊界での民族同士の戦い、
もしくは魔界の関与という捉え方もあります。

現象的に言へば、戦争が無くならないのは「戦争屋」の
存在があります。死の商人、軍需産業の存在です。


さういふ人たちは世界各地に紛争の
火種を常に作つておきます。

表向きには平和を唱えてゐる人達も
さうなのですから始末に負へません。


現在の東アジアの不安定も、自然発生的に起こったものではなく、
人為的に作られたと見る方が正しいでせう。

東アジアの不安定により利益を得るものがゐるといふことです。


日本人は性善説の人が多いので、さういふ見方を
避ける傾向にありますが、世の中常に真実を
捉へていかうと言う心意気は大切です。

国民一人一人が冷静に対処して、決して
戦火の起らないやうにしていかなくてはなりません。


私は昭和40年生まれですが、子供の頃、
戦争があつたのは大昔のこととしか思へませんでした。

先後わずか20数年だつたのですが、さう思つてゐました。

今の時点から20年前を考へると昨日のことのように思います。
結婚してから25年。それも昨日のことのやうに感じます。


といふことは、私が子供の頃というのは、戦争の時代と、
とても近かったんだなあと思います。


また、12月8日と言へばジョン・レノンが
射殺された日ですが、それからもう三十年も経つんですね。

その日のことはよく憶へてゐます。


中学三年でしたが、学校から帰宅すると、父だつたか母だつたか、
「ジョン・レノンが撃たれたぞ」とすぐに話しかけてきました。

早速テレビをつけてみると、ちょうど「3時のあなた」
という番組で報道されていました。

ジョンの当時の新作「スターティング・オーバー」が流れていました。


この時のショックは計り知れないものがありました。

私は小学5年生ころからビートルズマニアになっていました。
英国オリジナル版のLPはすべて持つてゐましたし、
公式発表曲の213曲はすべて所持してゐました。

すべての歌を歌ふことができました。

毎晩ビートルズを聴きながら眠りに入りました。

ビートルズで英語を覚へました。


毎年東京九段会館で行われていた、「ビートルズ復活祭」
といふフイルムコンサートにも毎回参加してゐました。

マニアになった当時はまだ解散6年後くらいでしたが、
友人でビートルズを知つてゐる子供は
ほとんどゐませんでした。

ですので、私がビートルズを友人たちに広めていきました。


小学生の頃は、ベイシティローラーズといふ
現役のグループがロック好きの子には人気がありましたね。

今はテレビ番組やCMのBGMで無数にビートルズ曲が
使はれていますが、子供の頃は少なかったですね。

唯一三ツ矢サイダーのCMで、「ラブ・ミー・ドゥ」や
「プリーズ・プリーズ・ミー」が使はれていたのが
印象に残っています。


小学6年の時、テレビで、ビートルズの二作目の
主演映画「ヘルプ」が放映されて、
それを見た友達がみんなファンになっていきました。

当時ビートルズの各メンバーはそれぞれソロや
別のバンドで活動していた頃ですが、
日本での露出は少なかつたですね。


ジョン・レノン射殺された年の1月、ポール・マッカートニーの
日本公演が予定されていて、来日したのですが、大麻所持で逮捕。
コンサートは幻のこととなりました。

1980年はビートルズファンにとってとても悲しい年でしたね。


しかし、ポール逮捕の時、私は生でポールの
実物に遭遇することができました。

ポールは逮捕されてから、東京目黒の麻薬取締事務所に
護送されてきてそこで取り調べを受けていました。

その麻薬取締事務所が私の住んでいた家から
三百メートルくらいのところにあつたのです。


ですので、ポールの護送の瞬間を見やうと
近所の人たちは野次馬となって集まっていました。
夜でしたので私も現場を見に行きました。

取り調べが終わり、ポールが取締官に誘導されて
事務所の二階から降りてきました。

フラッシュが一斉にたかれましたが、
ハッキリとポールを見ることができました。


実は、その麻薬取締事務所の入り口門扉は
鉄工所を経営していた私の父の作つたものです。

そして、私は父の手伝ひをしてその門扉のペンキを
塗つたのですが、ポールはその門扉をくぐつたのです。

小さなことですが、ポールとのつながりを感じ、
感慨深いものがありました。


ジョン・レノンの射殺された翌日、中学に登校すると、
高校受験が近かつたにも関はらず、クラスでは
ジョン・レノンの話題で持ちきりで、

ビートルズのことをみんなで語り合ったのを憶へてゐます。


ビートルズの再結成はいつかなされるものと私は信じてゐて、
楽しみでもありました。それが永遠に断たれたのです。

その絶望感はやりきれないもので、
悲しみを通り越して涙も出ませんでした。

でも、泣いている子もゐましたね。
ジョン・レノンは40歳でこの世を去りましたが、
私ももう45歳になりました。信じられません。


生のビートルズメンバーとの遭遇としては
ジョージハリスンの東京ドーム公演にも行きました。
エリック・クラプトンも一緒でした。

解散後のジョージの曲は名曲が多く大好きでしたが、
そのコンサートは退屈で途中で寝てました。

ビートルズ熱もさめていたんでしょうね。
そのジョージも癌で死んでしまひました。


今はユーチューブで貴重なビートルズの映像が
いくらでもみることができます。

子供の頃にみることができたらさぞ興奮したことでせう。

昨日(12月8日)もさして大きな感慨を持ちませんでした。
確かにビートルズの曲は今聴いても新鮮で
素晴らしいです。カラオケでもよく歌ひます。


ただ、私も波動が浄化されてきたせいか、
ちよつと違ふものになつてきているやうです。

眠りに入るときの曲がビートルズでは
リラックスができなくなつてゐます。

ですが、歳をとつたらバンドを組んでビートルズの
コピーを演奏したいと言ふ希望はありますね。

以上、引用終り。

日米開戦については、再び明日にでも述べたいと思ふ。

(続く)
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本日の言葉

本心から、幸せになりたいと願ってるのかい? じゃあ手はじめに、今の自分、今持っているものを大切にすることだね

―ベンジャミン・ホッフ『タオのプーさん』

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posted by あさひ at 00:00| Comment(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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