2014年12月09日

十二月八日(世界中が歓喜した日)その2

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昨日の「十二月八日(世界中が歓喜した日)」の続きとなります。

(2011年12月9日のブログより)


七十年前の十二月八日は、日米開戦の日でした。

日本軍はハワイの真珠湾の
アメリカ太平洋艦隊を攻撃しました。

しかし米国に通告しない奇襲だつたので、米国民は
「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を
合言葉に怒りを燃え上がらせたのです。


日本は汚い国というレッテルを
張られてしまひました。

日本は攻撃の前に米国に開戦通告
するはずだつたけれど、

在米日本大使館の事務怠慢で
開戦に間に合はなかつたといふ
通説はありますが、真偽のほどは判りません。


帝国海軍の「奇襲」攻撃を米国政府が
知つていたかどうか、歴史学界では未だに
決着がついてゐないのですが、

当時のルーズベルト大統領部が知つてゐたことは、
数々の状況証拠から否定できないと思へます。


アメリカ国民は第一次世界大戦以降、
戦争には嫌気がさしてゐました。
戦争には大反対だつたのです。

ルーズベルトは戦争は絶対にしないことを
公約に大統領に当選したのです。

しかし、米国政府は「奇襲」攻撃されることを
望んでゐました。正式にヨーロッパの戦争に
参加したくてうずうずしていたのです。


真珠湾攻撃の一報を聞いたイギリスのチャーチル首相は、
これで救われたと安堵したと言はれてゐます。

「リメンバーパールハーバー」は、ルーズベルトの
陰謀であつたことは、いずれ解明されることでせう。


本日付(2011年12月)の東京新聞にも
「旧海軍の暗号方式 真珠湾前に解読 
米軍史料発見で新説」

といふ見出しで、「報告書には暗号方式を
『真珠湾攻撃の前に解読できていた』と明記している」

とありますから、やはり米国は真珠湾攻撃を
事前に知つていた訳です。


この日を境に、日本国民は戦争に巻き込まれ、
暗黒の時代に突入、そしてそれは軍国日本の、
指導者や軍人達が主導したものと思はれがちですが、

必ずしもそればかりではないやうです。


昭和16年12月8日の宣戦布告のニュース
「臨時ニュースを申し上げます。帝国陸海軍は今八日未明、
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。 」が

ラジオで流れると、日本中が狂喜したのです。


国民が戦争を望んでゐるといふニューマ
(空気、ムードと言つたところでせうか)
がありました。

それほど国民の生活は苦しく、
追ひつめられてゐたといふことでせう。

日本人は元々好戦的ではなく、平和で大人しい
農耕民族なのですが、追ひ詰められたら
何を仕出かすか判らないといふ面もあるのでせうか。


太宰治は、この日の日記を次のやうに書いてゐます。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/253_20056.html


十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の仕度に気がせきながら、
園子(そのこ)(今年六月生れの女児)に乳をやっていると、
どこかのラジオが、はっきり聞えて来た。

「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」

 しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、
光のさし込むように強くあざやかに聞えた。

二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、
私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、
からだが透明になるような感じ。

あるいは、聖霊の息吹(いぶ)きを受けて、
つめたい花びらをいちまい胸の中に
宿したような気持ち。

日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。

(引用ここまで)


多くの日本人がこのやうな心情を持つたのです。

宣戦布告のニュースに引き続いて、ハワイ真珠湾攻撃の
大戦果発表(・・・米太平洋艦隊壊滅・・・)があり、
歓喜と興奮につつまれてみんな万歳を連呼したのです。

一部の指導者だけが悪かつた訳で無く、
戦争は国民の総意でもありました。
(勿論、戦争反対の人もいましたが)


緒戦は連戦に次ぐ連勝でした。真珠湾攻撃の二日後には、
マレー沖海戦において、当時世界最強の海軍といはれた
イギリス海軍の、当時最新鋭艦である

戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを、
日本海軍の双発の陸上爆撃機を撃沈したのです。

後に当時のイギリス首相のウィンストン・チャーチルは、
このことが「第二次世界大戦中にイギリスが最も大きな
衝撃を受けた敗北だ」と語らしめました。


その他にも、連合国軍の拠点(植民地)であるマレー半島、
フィリピン、ボルネオ島、ジャワ島とスマトラ島などに於いて
イギリス軍・アメリカ軍・オランダ軍などの連合軍に対し

圧倒的に優勢に戦局を進め、日本陸軍も瞬く間に
イギリス領であったシンガポールやマレー半島全域、

同じくイギリス領の香港、アメリカ合衆国の植民地であつた
フィリピンの重要拠点を奪取したのです。


シンガポールの陥落は英国にとつての打撃は大きく、
欧州の東アジア支配の終焉を意味してゐたともいへるほどの
重大な影響を与へたのです。

皇軍の向かふところ敵なしでありました。

しかし、わが皇軍も、昭和17年6月のミッドウェー海戦での
敗北を転機に戦線は次第に後退していくのです。

(未完)

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posted by あさひ at 00:00| Comment(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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