2014年12月31日

まだまだ若いものには負けない(その2)

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大晦日です。今年最後の日になりました。

皆さまにとつて今年一年は
どんな一年でしたか。


勿論色々なことがあつたでせう。

嬉しい事、悲しい事、楽しい事、落ち込む事・・・・
様々な出来事があつたと思ひます。

しかし、「自分の身に起ることはすべて良い事である」
さう決めつければ、どんなことが起らうとも、
人生は良い方向に向かうはずです。


降りかかつた災難でさへも、より良き人生への
きつかけとなるのです。

人生、最後に勝利するのは、勿論あなたです。

最後に勝つのが、本当の勝利者。
終り良ければすべて良しです。


さういふ意味では今日は今年で
一番大切な日でもあるでせう。

今日一日が良い日であれば、今年一年は
良い年であつたことになるからです。


本年も当ブログをご愛読いただき
ありがたうございました。

少しでも皆様のお役に立てることが出来たなら、
それ以上の喜びはありません。

今年は、365日、一日も休まず、ブログの更新、
メルマガの配信をすることが出来ました。

頑張つて来られたのは、ブログや、メルマガを
読んで下さつた皆さまのお陰と感謝いたしてをります。

来年も皆様のお役に立つ良い情報を
提供できるやう、精進してまいります。

それでは皆様、良いお年をお迎へ下さい。

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昨日の「まだまだ若いものには負けない」の続きです。

http://taiyoukansibitosuu.seesaa.net/article/411482827.html?1419894537


高校生女流棋士の和田あきちゃんに快勝して、
気分を良くしてゐたところ、
(実際にはほっとしてゐたところ)

次なる相手は大野七段の弟子では最年少で
五番弟子の十五歳、宮嶋健太君との対戦が決まつた。


彼は岐阜県在住で今回が初顔合はせであるが、
以前から噂は聞いてゐた。

何しろ若干中学三年生でありながら棋歴がすごい。


わずか7歳で「第32回小学生将棋名人戦」の
岐阜県予選を勝ち抜き、全国各都道府県代表48人の中で
ただ一人、小学1年生で全国大会に出場。

4年生では、アマ竜王戦県大会で史上最年少優勝を果たし、
全国大会出場。これは本当にすごいことである。

そして6年生で岐阜県初の「小学生将棋名人」となり、
プロ棋士を目指して奨励会に入会。

(私は昭和52年第二回大会の時、6年生でベスト16であつた)


まさに岐阜の大天才といはれるほどの輝かしい棋歴といへる。


私はさらに気を引き締めて盤に向かつた。

練習将棋とはいへ、大天才を前に
変な将棋を指す訳にはいかない。

振り駒の結果、宮嶋君が先手となり、
後手番の私は四間に飛車を振る。


宮嶋君は、和田あきちゃんと同じく居飛車穴熊で対抗。

四間飛車をはじめとする振り飛車には、
非常に有効な作戦で勝率も高い。

振り飛車の天敵なのである。


あの堅くて遠い難攻不落の「玉将」見ただけで
嫌気が差してしまふ人も多いのである。

王様を戦場から遠い場所の盤石な城に配置し、
その周りを守りに強い武将が固めてゐるといふ
イメージである。


だから強い戦いが可能で、攻め将棋の人には
もつてこいの戦法である。

この戦法の隆昌により、振り飛車を指す人が
減つてしまつたといはれてゐる。


それだけでも私側が不利といへるのだが、
私は最新系の型を知らないので、仕方ない。

それでも、昭和の将棋の底力を、平成生まれの若者に
見せてやらうとも思ひながら駒を進める。


中盤に差し掛かる頃、宮嶋君は角切りの強襲を掛けて来た。

私も冷静に対処し、やや有利の分れになつたと思つた。
しかし、宮嶋君も次から次へと強烈なパンチを繰り出してくる。


この日の私は本当に冷静であつた。

桂馬で飛車角の両取りを掛けられたが、
角を切つて穴熊を薄くした後、

飛車取りを放置して金取りに角を打ち、
銀を受けに使はせてから飛車を逃げたのが、
自慢の手順であつた。


その後私も終盤で少しミスった感じが有り、
最後は即詰みに打ち取られたかと一瞬思ったが、
辛うじて逃れて幸ひすることになつた。

宮嶋君が投了。ちよつぴり悔しさうな表情である。

私は叔父弟子としての面目を保つことが出来た。


「幸ひする」といふ言葉を使ふのは久しぶりだ。

奨励会では勝ち負けの結果を答へる時に、
勝つた場合は「幸ひしました」と答へる人が多かつた。

「勝ちました」などとは絶対いはないのである。

それは敗者に対するいたわりといふこともある。


私が相手より強いから勝つたのではなく、

相手がミスをしてくれて勝たせてくれた、
相手が少し緩めてくれたりで勝てた、
運がちよつとこちらが側に転んだので勝てた等、

謙遜の意味も含んでゐるのである。

「勝ちました」と勇ましく勝利宣言するよりも、
「幸ひしました」は控へめで相手に対して愛のある、
素晴らしい表現ではないかと思ふのである。


閑話休題。

私も「昔取つた杵柄」で、勝つても当たり前ともいへるのだが、
老化現象を自覚するやうになり、そういふ点では自信を
失ひかけてゐる面もあつたのである。

さういふ中で、十代の俊英である和田あき女流と、
現役の奨励会員の宮嶋君に勝てたことにより、
まだまだ自分もやれるといふ思ひを取り戻せたのである。


将棋といふ頭脳ゲームの最高峰で、頭脳明晰の十代で
現役の勝負師である彼らに勝てる力が残つてゐるのは大きい。

私も記憶力や指し手を読む力は衰へたと思ふ。
しかし、あまり衰へてゐないところは、
「大局観」ではないかと思ふ。

大局観とは的確な形勢判断を行う能力のことであるが、
転じて、物事の全体像(俯瞰像)をつかむ能力のことをいふ。

私はこれを十代の修行時に肌で身につけたものだ。


この局面ではかう指すところ、ここではこの一手といふのが、
読まなくても判るものである。

将棋では読みの力は勿論大事なのだが、大局観が優れてゐれば、
読まなくても正解手が判るものなのである。

読みは、それに誤りが無いかを確認する作業なのだ。


それは人生でも同じことであり、人生のある局面に差し掛かつた時、
どのやうに対処したらよいか、どのやうに行動するべきかが、
熟慮しなくても直観的に判る力が大切なのである。


人間は本来自由であるが、さう言ふ時にさうしたら
まずいといふことはよくある。

そこはかうやるべき、そこではその一手、
といふ局面ははあるものなのだ。


その身についた大局観が思ひ込みであつたら、
確かに宜しくない。

それは大局観が悪いといふことになる。

若いうちから正しい大局観を身につけることが、
人生においては重要といふことであらう。


最近は全く将棋の勉強をしてない自分が、
一日八時間の勉強で頭脳明晰な若者に
勝つことができるのは、

身につけた大局観が誤りでなかつたことを
示すものでもあり、それが私には嬉しかつた。


人間五十年といひ、いつでも人生を終えても
可笑しくない年齢となつたが、

まだまだ自分もやれるといふ思ひを取り戻して、
今年を終えることができるのは、
私にとつて望外の幸せであつたのである。

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posted by あさひ at 00:00| Comment(0) | 勝負の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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