2014年08月10日

戦争について 2(過去のブログを編集)

クリックされた人に吉運を
お分けできるよう
祈念してバナーを貼りました。


人気ブログランキングへ


金運アップの秘法


出張中につき、過去のブログを掲載します。

今月は大東亜戦争に関連がある月なので、
戦争に関する記事を編集してみました。

昨日の戦争について(過去のブログを編集)の続きです。

http://taiyoukansibitosuu.seesaa.net/article/403408954.html?1407579036

(2011年12月9日のブログを訂正、編集)


七十年前の十二月八日は、
日米開戦の日でした。


日本軍はハワイの真珠湾の
アメリカ太平洋艦隊を攻撃しました。

しかし米国に通告しない
奇襲だつたので、米国民は

「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を
合言葉に怒りを燃え上がらせたのです。


日本は汚い国というレッテルを
張られてしまひました。


日本は攻撃の前に米国に開戦通告
するはずだつたけれど、

在米日本大使館の事務怠慢で
開戦に間に合はなかつたといふ
通説はありますが、真偽のほどは判りません。


帝国海軍の「奇襲」攻撃を
米国政府が知つていたかどうか、

歴史学界では未だに決着が
ついてゐないのですが、

当時のルーズベルト大統領が
知つてゐたことは、数々の
状況証拠から否定できないと思へます。


アメリカ国民は第一次世界大戦以降、
戦争には嫌気がさしてゐました。
戦争には大反対だつたのです。

ルーズベルトは戦争は絶対にしないことを
公約に大統領に当選したのです。

しかし、米国政府は「奇襲」攻撃
されることを望んでゐました。

正式にヨーロッパの戦争に参加したくて
うずうずしていたのです。


真珠湾攻撃の一報を聞いた
イギリスのチャーチル首相は、

これで救われたと安堵したと言はれてゐます。

「リメンバーパールハーバー」は、
ルーズベルトの陰謀であつたことは、
いずれ解明されることでせう。


本日付の東京新聞にも

「旧海軍の暗号方式 真珠湾前に解読 
米軍史料発見で新説」

といふ見出しで、

「報告書には暗号方式を
『真珠湾攻撃の前に解読できていた』
と明記している」とありますから、

やはり米国は真珠湾攻撃を事前に知つていた訳です。


この日を境に、日本国民は戦争に巻き込まれ、
暗黒の時代に突入、そしてそれは軍国日本の、
指導者や軍人達が主導したものと思はれがちですが、

必ずしもそればかりではないやうです。

昭和16年12月8日の宣戦布告のニュース

「臨時ニュースを申し上げます。
帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において
米英軍と戦闘状態に入れり。 」

がラジオで流れると、日本中が狂喜したのです。


国民が戦争を望んでゐるといふニューマ
(空気、ムードと言つたところでせうか)
がありました。それほど国民の生活は苦しく、
追ひつめられてゐたといふことでせう。

日本人は元々好戦的ではなく、
平和で大人しい農耕民族なのですが、

追ひ詰められたら何を仕出かすか
判らないといふ面もあるのでせうか。


太宰治は、この日の日記を
次のやうに書いてゐます。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/253_20056.html


十二月八日。早朝、蒲団の中で、
朝の仕度に気がせきながら、園子(そのこ)
(今年六月生れの女児)に乳をやっていると、
どこかのラジオが、はっきり聞えて来た。

「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は
今八日未明西太平洋において
米英軍と戦闘状態に入れり。」

しめ切った雨戸のすきまから、
まっくらな私の部屋に、
光のさし込むように強くあざやかに聞えた。

二度、朗々と繰り返した。

それを、じっと聞いているうちに、
私の人間は変ってしまった。

強い光線を受けて、からだが
透明になるような感じ。

あるいは、聖霊の息吹(いぶ)きを受けて、
つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。
日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。

(引用ここまで)


多くの日本人がこのやうな心情を持つたのです。


宣戦布告のニュースに引き続いて、
引き続いてハワイ真珠湾攻撃の大戦果発表
(・・・米太平洋艦隊壊滅・・・)があり、

歓喜と興奮につつまれて
みんな万歳を連呼したのです。

一部の指導者だけが悪かつた訳で無く、
戦争は国民の総意でもありました。
(勿論、戦争反対の人もいましたが)


緒戦は連戦に次ぐ連勝でした。

真珠湾攻撃の二日後には、
マレー沖海戦において、

当時世界最強の海軍といはれた
イギリス海軍の、当時最新鋭艦である
戦艦プリンス・オブ・ウェールズと

巡洋戦艦レパルスを、日本海軍の
双発の陸上爆撃機を撃沈したのです。


後に当時のイギリス首相の
ウィンストン・チャーチルは、

このことが「第二次世界大戦中にイギリスが
最も大きな衝撃を受けた敗北だ」と語らしめました。


その他にも、連合国軍の拠点(植民地)
であるマレー半島、フィリピン、ボルネオ島、
ジャワ島とスマトラ島などに於いて

イギリス軍・アメリカ軍・オランダ軍などの
連合軍に対し圧倒的に優勢に戦局を進め、

日本陸軍も瞬く間にイギリス領であった
シンガポールやマレー半島全域、

同じくイギリス領の香港、アメリカ合衆国の
植民地であつたフィリピンの
重要拠点を奪取したのです。


シンガポールの陥落は英国にとつての
打撃は大きく、欧州の東アジア支配の

終焉を意味してゐたともいへるほどの
重大な影響を与へたのです。

皇軍の向かふところ敵なしでありました。


しかし、わが皇軍も、昭和17年6月の
ミッドウェー海戦での敗北を転機に
戦線は次第に後退していくのです。

(未完)

☆..*∵☆.∵☆..*∵☆∵☆..*∵☆..* ∵☆..*∵☆*∵☆..*∵☆..*☆..*☆

本日の言葉

自分に安らぎをもたらすことができるのは、自分だけ

−ラルフ・ウェルドー・エマーソン

============================

◎開運効果抜群の特殊方位術

→ http://taiyoukan.0ch.biz/wp/sub2/
posted by あさひ at 00:00| Comment(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月09日

戦争について(過去のブログを編集)

クリックされた人に吉運を
お分けできるよう
祈念してバナーを貼りました。


人気ブログランキングへ


金運アップの秘法


出張中につき、過去のブログを掲載します。

今月は大東亜戦争に関連がある月なので、
戦争に関する記事を編集してみました。

(2011年12月8日のブログを訂正、編集)


真珠湾攻撃の日として12月8日は
印象付けられています。
日本中が挙つて湧いた日です。

多くの人は今まで積もり積もった鬱積が
吹つ切れたような感覚を持つたやうです。

その後は初戦の華々しい戦火は
あつたものの、戦況は次第に厳しくなり、

つひに昭和20年には国土は焦土となり、
8月15日の敗戦へと向かつていくのです。


多くの犠牲者を出した指導者の無策の責任は
あまりにも大きく、万死に値すると言へますが、

物事の表層だけを見ることなく、
歴史の大きな流れで見ると、
起こるべくして起つた現象とも言へます。


精神分析的に言へば、
「戦争は人類の潜在意識の罪悪意識の自己処罰の表れ」
とカール・メニンジャー博士の言葉があります。


スピリチュアル的に言へば、霊界での民族同士の戦ひ、
もしくは魔界の関与といふ捉へ方もあります。


現象的に言へば、戦争が無くならないのは
「戦争屋」の存在があります。

死の商人、軍需産業の存在です。

さういふ人たちは世界各地に
紛争の火種を常に作つておきます。

表向きには平和を唱へてゐる人達も
さうなのですから始末に負へません。


現在の東アジアの不安定も、自然発生的に
起こったものではなく、人為的に作られたと
見る方が正しいでせう。

東アジアの不安定により
利益を得るものがゐるといふことです。


日本人は性善説の人が多いので、
さういふ見方を避ける傾向にありますが、

世の中常に真実を捉へていかう
と言ふ心意気は大切です。

国民一人一人が冷静に対処して、
決して戦火の起こらないやうにして
いかなくてはなりません。


私は昭和40年生まれですが、子供の頃、
戦争があつたのは大昔のこととしか
思へませんでした。

先後わずか20数年だつたのですが、
さう思つてゐました。

今の時点から20年前を考へると
昨日のことのやうに思ひます。

結婚してから25年。
それも昨日のことのやうに感じます。


といふことは、私が子供の頃といふのは、
戦争の時代と、とても近かつたんだなあと思ひます。

(未完)

============================

◎開運効果抜群の特殊方位術

→ http://taiyoukan.0ch.biz/wp/sub2/

posted by あさひ at 00:00| Comment(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月08日

広島原爆の日(過去のブログより)

クリックされた人に吉運を
お分けできるよう
祈念してバナーを貼りました。


人気ブログランキングへ


金運アップの秘法


出張中につき、過去のブログを掲載します。

丁度、一昨日は広島原爆の日であり、
一年前もそのことに触れてゐますので、
同内容を改行、文字訂正の上再掲します。

(平成25年、8月7日のブログより)


昨日は「広島原爆の日」でありました。

日本国民にとつて、最も悲しい日の
一つでありませう。


8月9日には長崎にも原爆が落とされ、
8月15日の停戦。(敗戦)

我々日本人にとつて悲しすぎる月です。


丁度立秋の頃でもあり、
秋に入る寂しさも重なつて、

毎年この頃はとても切なく
物哀しい気分になるのです。


広島原爆投下から68年が経ちましたが、
私の子供の頃は、戦争があつたことも、
原爆を落とされたことも、

遠い遠い昔のこととしか思へませんでした。

しかし、私が生まれた年の僅か
20年前のことですから、
実際はそれほど遠い昔でもありません。


今から20年前のことを思ひ返せば、
つい昨日のことのやうですから、
原爆投下も、比較的近い過去のことと気づきます。


米国の映画監督、オリバー・ストーン氏が
原爆の日に合わせて来日し、
「原爆投下には正当性はない」と正論を吐きました。

しかし、米国政府は未だに
「終戦を早めるために原爆投下は必要だった」と強弁し、
多くの人がそれを信じてゐるのが現状です。

「これ以上、双方の犠牲者を増やさないために
原爆を投下をして終戦を早めた」

といふ米国公式見解は、どう考へても納得できません。
悪魔的としか思へない発想です。


ストーン監督も「長年、投下は正しかったと信じていた」
といふことなので、多くの人もそう信じることは
仕方がないことなのかもしれませんが、

米国政府が言ふことなのだからそうなのだろうと、
無理に納得させられてゐるやうな気もします。


多くの人も心の底ではをかしいと
思つてゐるのではないでせうか。


ストーン監督は、

「米国は日本がソ連に侵略されることを
恐れていた。だから日本が降伏したがって
いるのを知りながら原爆を落とした」

と述べてゐます。


確かに、戦後のソ連との対立を見越して、
威嚇のために投下したという側面はあります。


しかし原爆投下の第一の目的は人体実験でせう。

日本人はABC兵器の実験対象にされてゐると思はれます。
(ABC兵器とは原子兵器、生物兵器、化学兵器のこと)


何故なら、日本人はこの後も、水爆や生物・化学兵器、
原発事故の被害を経験してゐるからです。


そのやうな国民は世界広しといへども日本人だけでせう。


さすがにストーン監督も
そこまで踏み込んだ発言はしてゐません。

それは知つてか知らづかはわかりませんが、
もし知つてゐたとしても、
そこまでは言及できない何かがあるのでせう。


私達は真実は何か、本質は何かといふことを
もつと追求し、知る努力をする必要があると思ひます。

============================

◎開運効果抜群の特殊方位術

→ http://taiyoukan.0ch.biz/wp/sub2/

posted by あさひ at 00:00| Comment(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする